終わりかけ社会人の日記

終わりの始まり 戯言日記

人に読ませる文章を書きたい

 

やっぱり、毎日日記を書いて思うのが、

俺って文章下手だなと思う。

 

 

国語の先生が見たら発狂しそうなくらいの

乱れ散らかした日本語の文法を使っているし、

読んでいてこれ以上読みたくなくなるような

文章を書いているとつくづく思う。

 

 

というか、この文章力というものは

人との会話力にそのまま直結してるとも思う。

 

 

あんまり人と話しても

俺が言いたいことが向こうに伝わっている感じがしないし、

向こうが俺の話に興味を持ってくれている時なんて

下ネタを題材にしている時くらいだろう。

 

 

どうやったら文章力が上がるのか?

人に読ませる文章を書く人はどうやってその力を培ったのか

 

 

俺は思うに本を読む習慣があるかどうかだと思う。

 

 

まあ、本とはいっても物語とか小説とかだ。

俺は、ビジネス書とか自己啓発本とかは結構読んでいるはずだが、

全く文章力が身についていないので、

おそらく全く手をつけていない小説とかの

そっちの領域に鍵があるのではないかと考える。

 

 

最近というかずっと思っているのが、

どうせ1度きりしか生きないのなら、

多くの趣味を楽しみたいと思っている。

 

 

だから、広く浅くいろんな趣味に没頭するように

心がけては来ていたのだが、

小説という多趣味な人がまず通るであろう道に

全然チン棒を突っ込もうとはしていない自分がいた。

 

 

どうせ本を読むのなら、

自分の私生活に活かせる自己啓発本などの

ためになる本を読むべきだ。

 

 

今まではそう考えてきた。

だけど、結構そういう類の本を読んでいるうちに

ふと思ったことがある。

 

 

どの本も似たようなことを書いているなと。

なんか新しい啓発本を読むたびに、

その分野においては、別の本でも見たような

結論を主張してあって、

驚きや発見がなくなった。

 

 

ポケモンの世界大会でトップ10のパーティが

ほぼ似たような編成になったりするように

偉い人の経験や研究を踏まえた上で導き出した答えは、

ほとんど同じ結論になるのだろう。

 

 

自己啓発本を楽しむことに限界があるなんて

思ってもいなかった。

 

 

これからは今まで舐めていた物語系を

読むとしよう。

 

 

彼女がだいぶ前にくれた図書カードで、

だいぶ前に本屋で買った

住野よる先生の「また同じ夢を見ていた」という本を

電車に乗るたびに読むようにしていた。

 

住野よる先生といえば、

「君の水筒を舐めたい」

じゃなかった

「君の膵臓を食べたい」

で有名な人だ。

 

 

しかし、俺は出勤に電車を使わないし、

電車の交通の便が良すぎるので、

電車に乗っている頻度と時間は少なく、

それに伴い、本をちょびちょびしか読めなかった。

 

 

だから小説の世界に入りきれていなかった。

 

 

だから、電車の中だけというルールをぶち壊して

家の隙間時間にゲームやYouTube、オナニーの時間を削って

小説を読むという時間を設けることにした。

 

 

すると電車で読んでいた時が嘘のように

この小説の世界を楽しめるようになったのである。

もしくは、小説の読み方に自分がなれたのかもしれない。

 

 

多分、今日読んだら読み切ってしまうと思う。

 

 

一つの物語が終わってしまうと思うと

なんだか寂しい気持ちになるが、

自己啓発本では得られないような

感情や学びを自分の中でひっそり誕生させった気持ちにもなる。

 

 

これからは俺の趣味の中に小説を読むということを

打ち込もうと思う。

 

 

小説を読むことで人に読ませる文章を

自分でも書けるようにインプットしていきたい。

 

 

小説のフレーズで会話まで上手くなるのかは分からないが、

今があまりにも大したことがないから、

正攻な方向ではないにしろきっと良くはなるだろう。